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Black Coffee

2003年02月08日 フィクション06 「Black Coffee」

M氏の愛車は彼女を乗せ東名高速を東に向かって走っていた
彼女は車に乗り込んでから興津トンネルを抜けるまでの‘間’はいつもナーバスになっている・・・escape zone
M氏もこの辛辣な雰囲気から早く抜け出したいと思いながら運転していた
どんなに綺麗事を並べてもこの‘間’が二人に苦々しい現実を突きつける

トンネルを抜けると、やっと緊張感から解放されたように‘コーヒー飲む?’と彼女は小声で言った
M氏は促されるままハンドル片手に彼女が作ってきたBlack Coffeeに口をつけた
‘美味しい?’
‘やっぱり苦いよ’彼は砂糖を入れないコーヒーは薬か毒のようだと思っていた
‘そろそろ慣れなきゃね・・・’彼女が呟いた

彼女がコーヒーを持参するようになったのは理由がある
以前、喫茶店で‘砂糖を入れるなんて子供みたい’と、彼女が笑ったので
‘おまえだってまだ子供だろ?家じゃ砂糖入れてるんじゃないのか?’からかうと
頬を膨らまして‘私はもう大人ですっ!いつもブラックですっ!’わざと大袈裟に怒り
その証拠に‘ドライブにはMy Coffeeを持っていくからねっ!’と言い張った

そんな子供のような仕草や言い分が似合っている彼女にはこの‘escape zoneまでの間’は苦かった
吹っ切るように‘ねっ!スケッチブック持ってきたよ’と陽気に振舞う
この日は彼女のリクエストで忍野八海までドライブ・・・冬景色を描きたいらしい
もう彼女はいつもの自分に戻り、せきを切ったようにお喋りを始めている
M氏は相槌と僅かな単語を並べただけだったが車は御殿場インター出口を降りていた

途中この方面に来ると必ず立ち寄る籠坂峠のCafeteriaで軽く食事を取った
ふっと視線に気付き、コーヒーカップに砂糖を入れようとしたスプーンを止めて彼女を見ると
目が笑っていたのでくやしいから砂糖を入れるのを止めた仕草に、彼女はクスクスと笑った

忍野八海に到着してから彼女はスケッチブックに向かってひたすら絵を描いていた
コンテで描いていたからデッサン画と言うのかもしれない
いつも陽気な彼女もこんな時には声を掛けても生返事が返ってくるだけだった

M氏は寒さに耐えかねて車内に戻ったけどエンジンを止めていたから寒さに変わりはない
そのうち彼女も息も白く頬を真っ赤にして戻ってきた
‘ほらっ!冷たいでしょっ’悪戯っぽくM氏の頬に手の甲を押し当てた

外はモノトーンの世界、身を裂くような冷たさは二人の現実を物語る
‘コーヒー飲む?’と微笑み、言葉が小刻みに震える彼女と
二人寄り添うように毛布に包まって、仄かな温もりを性急(せっかち)に求めた

‘美味しい?’
無邪気に耳元で囁いた彼女の肩を抱いていた手に、無意識に力が込もる
‘うん、美味しいよ・・・’
美味しそうに飲んで見せたBlack Coffeeは、身と心に、甘く苦く・・・痛いほど沁み付いた。

  • 2003年02月08日(土)20時07分

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