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オ・ヤ・ジ・・・

2001/08/04 オ・ヤ・ジ・・・

親父の家に行くのも年に1回(正月の挨拶)になってしまった。
この家は昭和天皇の写真も飾ってあるし、正月は日の丸の旗も出している。
何となくホッとする。

彼は旧帝国海軍水兵さんの生き残りだ。
17歳か18歳にはもう駆逐艦か哨戒艇に乗っていたと思う。
小柄だが剣道の達人で筋金が入っている。
若い時は酒飲みだった。
おかあさんは気さくで善い人だ。実母よりも母親らしい人。
私は「おかあさん」と1文字も省略しないで呼んでいる。

ここでは「ワインを」なんて無粋な事は言わない。
日清・日露戦争勝利記念の古いくたびれた盃(さかずき)で酒を酌み交わす。
「親父が死んだらこの盃と徳利は俺が貰ってやるよ」と私はいつも言う。
「俺を早く殺すな!」と親父は私を叱るが笑っている。

彼は婿で、母と離別したのは私が中学1年生の時だった。
家を出て行った。
私は実母から溺愛されていたので「父=悪い人」「母=善い人」だった。
私は母似。どこそこが父に似ていると言われる事に嫌悪した。
あんな人には似たくないと心の底から思っていた。
近年になって母(実母)から「親父に似てきたねぇ」と、私の顔を見てイヤそうに言う。
自分でも似てきたと思っている。

私は大人になってからも親父の事を憎んでいたが、社会にまみれ、また、同じ婿という境遇になってやっと視界が開けた。
皆が苦くて辛い思いをした時間は消し去る事は出来ないし、憎しみも簡単に消える事は無いが
親父も親父なりに苦労をしていたと悟った。

親父も歳を取った。酒に弱くなった。
ジャックダニエルを飾ってあったので「そんなものは飾るモノじゃない、飲むものだ」と言って無理やり貰ってきた。
私のHPの何処かに写真があると思う。

自分の顔を鏡に映す。確かに「親父」に似てきた。
私は「満更でもないよ・・・」と呟いて下あごを撫ぜた。

  • 2001年08月04日(土)23時23分

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