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史上最大の作戦 (THE LONGEST DAY)   1962年 アメリカ

史上最大の作戦  Les sanglots longs Des Violons De l'automne....

[原作] コーネリアス・ライアン
[監督] ケン・アナキン 、ベルンハルト・ヴィッキ 、アンドリュー・マートン
[出演] ジョン・ウェイン 、ヘンリー・フォンダ 、ジャン=ルイ・バロー 、ロバート・ライアン 、リチャード・バートン 、ロバート・ミッチャム、
     クルト・ユルゲンス、ハインツ・ラインケ、(ショーン・コネリー)

冒頭シーン、真っ暗な画面からティンパニの音がフェードインしてくる…ダ・ダ・ダ・ダン…ダ・ダ・ダ・ダン…単調に繰り返す…ベートーベンの「運命」だ。
画面が明るくなると映像は1個のヘルメットが捨てられた水平線を望む波打ち際を映し出す。そして、フランス語で
「こちらはロンドン。BBCのフランス語放送です。占領地の皆さんへメッセージをお送りします…」
このラジオ放送のアナウンスで始まる「THE LONGEST DAY」はモノクロ映像で収録時間が約3時間もある大巨編、製作年度が古い戦争映画です。
昨今の映画と比べてしまえば見た目の派手さは劣るかもしれませんし、大局的な視点で描いていますが大味って事はないです。

原作本は元従軍記者コーネリアス・ライアンのベストセラーになったノンフィクション「THE LONGEST DAY(いちばん長い日)」、
1944年(昭和19年)6月6日に決行されたノルマンディ上陸作戦(オーヴァーロード作戦)を題材にしたもので、
映画でも上陸作戦の決行直前から各上陸地点で橋頭堡を築くまでを各登場人物の心理描写、エピソードを織り交ぜて描いています。

この映画には往年の大物俳優さんたちが多数出演していますが、ただ単に雁首を揃えたばかりではなく、また、お金をかけただけの娯楽作品に
留まらず傑作として史上に足跡を残しています。製作アドバイザーには元軍人も加わり、そしてドイツ軍人役にはドイツ人俳優を、
連合国軍にはそれぞれの国の俳優を配し、セリフは当然ですが各自母国語で喋っています。

連合国軍側からの視点ばかりではなく、独逸軍将校たちからの視点がサスペンスチックに描かれ緊迫感が間近に感じ
また、60年代の特徴なのか、この映画の趣旨なのか判りませんが血ドバも皆無なので戦争物が苦手な人にも安心して御覧になれると思います。

私は10年前(だったと思いますが)、地元のローカル局が大晦日にTV放映した字幕版をビデオに録画して、それを今でも年3,4回は見ています。
今回レンタルしたDVDと見比べるとカットしてある場面は極少だった事を確認しました。
余談ですが、それより以前にTV放映した時には、ジョン・ウェインの吹き替えを小林昭二さん(故人) が担当されていたと記憶しています。

舞台になる上陸地点は北フランスのノルマンディ、「ユタ」・「オマハ」・「ゴールド」・「ジュノー」・「ソード」の5海岸。
ジュノー・ビーチのカナダ軍も強力な抵抗にあいましたが、特に熾烈を極めたのがオマハ・ビーチ、ちなみに映画「プライベート・ライアン」で
話題騒然となった地獄絵図のような上陸戦闘場面も、ここオマハ・ビーチでした。
6月6日午前6時30分、第1波の米軍第1歩兵師団がオマハ・ビーチに上陸、連合軍の予想に反して防衛するドイツ軍は戦闘経験がある
精鋭部隊が布陣、しかも海は荒れ模様の為に戦わずして沈没した上陸用舟艇、水陸両用戦車が多数ありました。
(ここまで6という数字が並ぶとオカルト関連の事柄も書きたくなりますが)

「プライベート・ライアン」の上陸戦闘場面を見てしまった後だと、この場面に限って言えば嘘っぽく(奇麗事のように)見えてしまいます。
あの映画は凄いです、「残酷なシーン」があるとは聞いていたのですが、ホラー映画を見慣れている私は気にも留めていませんでした。
上陸用舟艇の中のトム・ハンクスを映し出てから一連のシーンは、鑑賞している私たちを、あたかも舟艇に同乗しているかのように錯覚させます。
そして、波打ち際に到着した上陸用舟艇の前ゲートが開くと…待ち構えていた世界最強のマシンガンMG42機関銃の集中砲火を浴び
ヘルメットも貫かれ、あっと言う間に次から次へと米兵が舟艇内で死んでいきます。

従軍した経験が無い自分にとって悲惨な戦闘場面の「リアル」って何だろう?、と思います。上記した「プライベート・ライアン」の場面ですけど
私には「本物っぽい」とか「忠実に再現」とか言われても理解できません。でも、観ていて実際に自分の身体が撃たれたように痛く恐怖を覚えました。
その後の戦闘シーンも感情移入が無く淡々と描いているようで、それが心底恐かったです。ホラーよりも恐い映画です、プライベート・ライアンは。


閑話休題… さて、お話しは史上最大の作戦 (THE LONGEST DAY)に戻しましょう。
世紀の上陸作戦の決行にはフランス内のレジスタンス(抵抗組織)に向けてヴェルレーヌの「秋の歌」(落葉)を暗号に用いました。
作戦予告暗号「Les sanglots longs Des Violons De l'automne」…秋の日の ヴィオロンの  ためいきの (第一節)
決行が差し迫った暗号「Blessent mon coeur D'une langueur Monotone.」…身にしみて ひたぶるに うら悲し (第二節)

1944年の6月1日夜に「Chanson d'Automne」の第一節を、6月5日21時15分にBBCのフランス語放送はメッセージで
第二節の「Blessent mon coeur D'une langueur Monotone.」を流しました。

この映画の見所は沢山ありますけど、圧巻なのは上空からワンシーンで一気に流し撮り(って言うのかな)する場面です。
上陸後に内陸部へ侵攻したフランス軍コマンド部隊がウィストアムの建物(カジノ)を陣地としているドイツ軍に突撃する場面、
この建物(カジノ)の屋上には重機機関銃で武装した一隊が、そしてトーチカに改装された半地下には大砲が据えられ睨みを利かせています。

同じ様な撮り方でルフトヴァッフェのヨーゼフ・プリラー大尉(俳優はハインツ・ラインケ)が「直にゆっくりと眠れるぞ」と言って部下と2機の戦闘機で
出撃した場面、海岸に上陸した連合軍に空から襲い掛かります。この場面はエキストラの人数が非常に多いのでバタバタ倒れていっても、
減っていないように感じます…これぞ迫力と言わずして何と言う。ちなみに2機のみの出撃は実話で、プリラー大尉は無事に帰還しました。

細かく言えば不満なところも随分ありますが無視できる範疇です。ただ、ドイツの名将フォン・ルントシュテット元帥が必要以上に傲慢に描かれている
ところがちょっと妥協できないかな、と思っています。確かに連合軍の上陸阻止を巡りロンメルの主張する「水際死守」と「内陸誘引」論争があって、
結果論的にはロンメルの主張が連合軍の意図を読んでいましたから、この時のルントシュテットは分が悪いですが。

映画の中でルントシュテットはブルメントリット(俳優はクルト・ユルゲンス)と会話する場面でヒトラーの事を「…ボヘミアの伍長…」と蔑むセリフがあります。
これはオーストリア出の一平卒に過ぎなかったヒトラーとプロイセン貴族出のルントシュテットの違いから起因するものです。
ちなみにワイマール共和国(ヴァイマル共和国・ドイツ)の2代目大統領ヒンデンブルクもヒトラーをボヘミアの伍長と軽蔑し毛嫌いしていました。
彼もまたプロイセンの貴族(ユンカー)出であり軍人。私はヒンデンブルクが歴史的に過小評価されているようで不満を覚えます。

映画「史上最大の作戦」ではロバート・ミッチャム演じるコータ准将以下米軍がオマハ・ビーチでの激戦を制し、内陸部へ進撃するようなところで
終っていて「やれやれ、これで安心」と思わせていますが、実際には上陸初日に攻略予定だったカーンも無傷のままドイツ軍の勢力内にあり
シェルブールの降伏は6月26日でした。

それから、私にとって、この映画で一番印象深い場面は上記の直前シーンです。それは
靴を左右逆に履いているドイツ兵の死体、撃墜されて負傷した英軍パイロット(リチャード・バートン)、迷子の空挺隊員(リチャード・ベイマー)のシーン。
R・バートンが言う「おかしいね、彼は死んで、俺は動けなくて、君ははぐれている…そんなものらしい、戦争とは」
R・ベイマーが不安そうに「どっちが勝ったかな?…」

…戦争のない平和な世界を心から望みます。


[補足]
ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥…上陸作戦阻止の兵力配置についてヒトラーの方針を批判し7月に2度目の罷免を受ける。
                       再任するのは1944年の9月だが、ヒトラーに逆らって復帰できた将官はルントシュテットだけ。
                       
エルヴィン・ロンメル元帥…ルントシュテットとともに撤退をヒトラーに進言したが拒否される。7月17日英戦闘機の機銃掃射で重傷を負う。
                 7月20日ヒトラー暗殺計画の失敗後、関与を疑われ10月14日裁判か自殺かの選択を強要され服毒自殺する。

ヨーゼフ・プリラー大尉…戦死を免れる。この映画の製作アドバイザーのひとり。


[時代背景]
1944年6月6日は、1940年6月に英仏連合軍がダンケルクで大陸より蹴落とされてから4年経過しています(前回の「空軍大戦略」を参照)。
その間に「東部戦線」ではスターリン率いるソ連軍が1944年5月までにドニエプル川右岸のウクライナからドイツ軍を掃討し、自国領土で
奪還していないのは白ロシア地域だけになり共産軍の軍靴の響きが、ドイツ軍を開戦前の国境付近に追いやるのは時間の問題になっていました。

1940年にフランスの陥落を横目で見ていたイタリアのファシスト、ムッソリーニが「勝ち馬」に乗ろうと焦り、勝手に始めた戦争「北アフリカ戦線」も
旗色悪く、ヒトラーはやむを得ずイタリア軍救援にロンメルを派遣しますが、ドイツにしてみれば副次的な戦の北アフリカ戦線も‘砂漠の狐’と英軍に
畏敬の念を込めて呼ばれた名将ロンメル率いる「ドイツ・アフリカ軍団」の奮戦も空しく、1943年5月には枢軸軍の戦線は崩壊、
そのとばっちりで1943年8月には米軍の猛将パットン率いる米軍第7軍がシシリー島に上陸します。

さらに1943年9月に連合軍はついにイタリア半島の先端部に上陸して9月の終り頃までには半島南部をほぼ制圧下におきました。
1994年6月4日にはローマが陥落します。
地図上では欧羅巴大陸の東からソ連軍、下からは連合軍がジリジリとドイツ包囲網を絞ろうとしていたのが1944年でした。
この映画の舞台になるノルマンディ上陸作戦(オーヴァーロード作戦)は「西部戦線」あるいは「第二戦線」の再構築になります。

1942年11月6日ロシア革命記念日のスターリンの演説は次のように述べています。
「おまえっちが第二戦線を構築しないからドイツと枢軸国軍は全軍をあげソ連を侵略できるのだ。一刻も早く西部戦線を構築する事が
我がソ連への最大最良の援助である。」、ざっくばらんに書けばこのようになります。
苦戦していたスターリンは今までの物資援助なんか所詮、子供騙しにすぎず、血を出せ流せ、と呼びかけました。

そう言われても兵站が充分に整っていなかった連合軍は早急に大部隊を編成する事ができず、北アフリカ戦線も予想外に手こずってしまいます。
また、西部戦線の代案のような(上記に書いた)イタリア半島侵攻も、引いて防衛するドイツ軍は手強い存在でした。
このような情勢のなか1943年11月28日初めてスターリン、ルーズヴェルト、チャーチルによる3首脳会談が開かれ、泥くさい政治的な
駆け引きの結果、やっとオーヴァーロード作戦の実施にこぎつけました。
もし仮に1年延期、いや半年遅れていたら全欧羅巴は赤い色に染まっていたかもしれませんね。

  • 2006年10月07日(土)18時31分

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