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「Crimson Season」Duran拉致未遂事件

2002年7月5日 Duran拉致未遂事件

これから暑い季節になりますね。昔、この季節に、ある事件が起こりました。
けっして面白い話では無いです。
まだ、私が独身の頃(カミさんとは付き合っている頃)の話です。
当時、労働運動にのめり込んでいた時期、前衛過ぎて会社も困惑していて
「迷惑だ」と私の実家(浜松市)にも話が伝わっていました。
・・・・      ・・・・

(今は昔)夏のある日、昼休みに浜松の実兄が訪ねてきた。「ちょっと外に出るか」
会社には許可をもらってあると言って無理やり連れ出された。
私は小さい頃から実兄には酷い虐めにあっていたので本能的にイヤとは言えなかった。
実兄は私にとって恐怖の象徴だった。

実兄はまだ独立する前で、その礎となった会社の車でやって来た。
仕事をこなしながら、用宗、焼津、相良と西進して浜岡に到着した。
ここで今日最後の仕事をやると言って、私は強制的に手伝う事になった。
仕事が終わり、「静岡へ帰るぞ」と言って発進したが、
国道150号線を西に向かって走っていた。

「話が違うじゃないか!」と言う私に「おまえは浜松に連れて帰る」と実兄。
私は実兄に拉致されてしまったのだ。腕尽くではとてもかなわない。
彼は私の1.5倍の大柄の人で中学高校時代は番長(死語か?)
私のようなチンピラが10人かかってもかなわない相手なのだ。
タイプで言うと松方弘樹か梅宮辰夫。

走行中の車内で押し問答が繰り返された・・・・
私は限界を超えた。「俺は帰るッ!!」とドアを開けた。
「てぇめ~っ!何しゃぁがる!!」と実兄はブレーキを踏んだ。
私は飛び降りた。
速度が遅くても結構人間は転げ回るものだなと、この時に学んだ。
足を若干打撲して、軽く頭を打った。
映画のように上手くいかなかった。

私は両手を広げ、後続車両を止めようとしたが、みんな私を避けて走り去った。
仕方が無いので、ビニールハウス畑のあぜ道に逃げ込んだ。
転々と道脇に身を隠しながら逃げ回っていると、
傍ら(かたわら)を実兄の車が土煙をあげて走り去って行った。
彼はストーカーのように私を捜しまくっている。
時々停まり、大声で口汚く罵っていた。
「殺してやる!」とかなんとか言っていた記憶がある。

私は頃合をうかがい、近くの民家に飛び込んだ。この時私はパニック状態だった。
しかも服が汚れていた。
「怪しい者ではありません・・・」言葉にならない箇所もあった。
民家のおばさんは優しい人だった。
しばらくして、おばさんは警察に連絡した。
おまわりさんが到着するまで私を落ち着かせるように話の相手をしてくれた。
おかげでパトカーが来た時には落ち着きを取り戻して事情を説明する事が出来た。

もう夜になっていた。派出所に行って調書を取られた。
人の良い初老のおまわりさんだった。いろいろ世間話をしてくれた。
労組の大先輩Y氏と上部団体オルグのNa氏にTELして迎えを御願いした。
菊川インター出口で待ち合わせ。パトカーで乗せてって貰った。
後ろの席には何回か乗った事があったけど助手席は初めてだった。

この日はY氏の宅に泊まったが、この事は誰にも連絡しなかった。
私は心身共に疲れ果てていた。正直言って疲れていた。
後で聞いた話では、労組の仲間達は手分けして、明け方まで捜索していた。

夜が明けて会社に出勤したら偉い人たちは皆、猿になっていた。
ミザル・キカザル・イワザル・・・
会社が緘口令(かんこうれい)を引いていた。
偉い人達は私を避けるように近寄らなかった。

その後、静波へ彼女と海水浴の帰路に、迷惑を掛けた民家へ挨拶に行った。
実兄はその後、姿を現さなかったが、もし再び襲来したら
私は本気で刺し違えるつもりだった。

夏の思い出は良い事も沢山あると思うけど、正直言って夏の印象は地獄の一季節。

(注)Y氏は一昨年の2000年に65歳で円満退職されました。

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  • 2002年07月05日(金)23時23分

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