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「Crimson Season」オ・ヤ・ジ・・・2

2002年7月17日 オ・ヤ・ジ・・・2
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「今度、浜松にはいつ来るんだ?」と珍しくオヤジからTELがあった。
私は「夏までには行くよ」と答えたが、もう、その夏になってしまった。
受話器から聞えてくるオヤジの声には張りが無かった。
かすれていて、声帯を震わせる力も以前より衰えていると思った。

オヤジは去年の10月に自宅で倒れた。脳梗塞だった。
倒れたと言うよりも寝ていたと言う方が正解。
だからおかあさんも気が付くのが遅れた。
病院に担ぎ込まれたのは倒れてから3時間は過ぎていたので危ないと言われたが命は取り留めた。
それ以来、勢いが無くなってしまった。

オヤジの具合が落ち着いた頃、私はカミさんとお袋を連れて病院へ見舞いに行った。
お袋は待合室で待っているから「あんたらで行っといで」と言った。
カミさんを連れてオヤジの居る5Fの病室へ行った。
元来小柄な人だがベッドに横たわっているオヤジがより小さく見えた。
剣道で鍛えていた腕が細く見えた。
おかあさんに挨拶をしてから
「よぅ!オヤジ!元気そうだね!こんなところで何やってんだ?」と笑いながらオヤジに言った。

オヤジはたいそう喜んでくれた。
入院当初は私の顔を見たいと駄々をこねて、私に似ている人を見かけては、見舞いに来たと言って、喜んでいたそうだ。
「オヤジ、正月には、また飲もうよ」と言ってみたものの、もう酒は飲めない。
「おぉ!楽しみにしているよ」オヤジは、自分でも飲めない事を知っているくせに。
処置が遅れたので少し脳に障害が出るかもしれないと言う話だった。

「オ・ヤ・ジ・・・」のコラムで
日清・日露戦争勝利記念の古いくたびれた盃(さかずき)と徳利の事を書いたがオヤジはそれを持って行けと言った。
おかあさんも「丁度良い機会だから受け取って」
私は「俺が持って帰ったら浜松で酒が飲めなくなるから」と断った。
それに、こんなに早く私の手元に来ては困るのだ、実際、困るのだ・・・

ひとしきり冗談を言って「じゃぁな、オヤジ、また来るよ、達者でな」。
おかあさんに挨拶をして帰ろうとしたら「下まで送るよ」
「いいよ、ここでいいから、オヤジの傍に居てあげな」と断ったが、一緒について来た。
私は下でお袋が待っている事を言ってなかった。

おかあさんはお袋の姿を確認すると一瞬、驚いたけど直ぐに普段の顔に戻った。
二人は挨拶を交わした。
カミさんを入れて女三人で会話が始まったので、私は「車をこっちに廻すから待ってて」と言い残し一人で外に出た。
外は雨が降っていた。

カミさんから借りた傘を広げて、それからタバコに火を着けて、駐車場まで、一服には充分過ぎる時間を掛けてゆっくり歩いた。
車を病院玄関に横付けして、お袋とカミさんを拾って車を発進させた。
バックミラーに写ったおかあさんの姿身が印象的だった。
(オヤジの事、よろしく御願いします・・・)

今年は正月早々よんどころ無い事情で実家にもオヤジのところにも顔を出す事が出来なかった。
早い時期に浜松に行こうと思っていたが、とうとう夏になってしまった。
実兄からも「たまには顔を出してやれよ」とTELがあった。
でも、私が顔を見せに行ったら、オヤジがそれっきりになるのが怖かった・・・。

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  • 2002年07月17日(水)23時23分

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