私にとって、青春の思い出は苦いもの、苦しいものばかりでしたがVANは憧れでした。
当時、VANヂャケは「格好いい!」代名詞。文化そのものでした。生沢 徹、福沢幸雄とか当時のダンディなレーシングドライバーが好んで着用していた記憶があります。
そして「ぼくらのVANヂャケ」が「アパレル業界最大手」と呼ばれるようになった頃、私はファッションとは無縁の日々を過ごしていました。
1978年VAN倒産。この悲しいニュースが流れた時、私は労働運動に挫折する頃でした。正確に言えば「フェードアウト時期」だった。少年期から身近に親しんでいたVANが潰れるなんて信じられなかった。
私は10代の半ばからいろいろ事情があって非行に走り、まともになったと思ったら労働運動に積極的に参加していました。共通して言える事は反体制的なモノの見方しか出来なかったと言う事です。
当時(VAN倒産)、VANヂャケ労組は静岡市竜南の事務所を職場占拠していて、私も他業種ながら同じ総評系労組の仲間という事で動員され何度か行った事がありました。1976年頃から建て直しと称して経営に入り込んできた○紅静岡支店への抗議行動もありました。
本当に大手資本は自分たちの身の保全の事しか考えていないし、VANの負債を大幅に増やしてしまったのは彼らだったと今でも思っています。結局は1980年東京地裁での和解合意で終結しました。
それまで2年間泊り込み、職場占拠していたVANヂャケ労組の組合員はアルバイト等で食い繋いでいたんですよ、これは大変な苦労だと思います。彼らはその後、静岡市鷹匠町にVANショップ静岡をオープンし、現在に至っています。「VAN」のロゴが使えるのも倒産闘争に勝利した成果だと思います。
現在も当時のメンバーが居るかどうか私には定かではありません。それ以降私は労働運動から足を洗ったし、VANからも遠ざかりました。
数年前から妙にVANヂャケが恋しくなりました。今までも幾度となく昔の遺物(VAN)を処分しようとした事がありましたが、出来ませんでした。私もまだ未だに「自分」を探している一人なのです。自分のアイディンティの1つがVANにあります。
いろんな事に挫折した自分、ニガイ思い出、イイ思い出、全部自分です。「人」はリセットなんて出来ないのです。自分を探すのだったら綺麗な自分、汚い自分、全て見つめましょう。
VANも挫折したけど、今は新生VANとして蘇りました。VANロゴは決して清廉潔白ではないけれど、VANの3文字に人生を感じます。汗を感じます。VANを昔に比べて身近に感じます。私は「現在も未来にも」VANの3文字が見られる事を感謝します。
何を言いたいのか解らなくなったけれどこれが精一杯コメント。
(注)このコメントは石津謙介氏を非難するものではありません。私は石津謙介氏を尊敬しています。
(元ページ old-web/v_016.htm)