2002年12月25日 フィクション04 「M氏再び・・・New-Year's Eve」
(「いつかのクリスマス・イヴに」の続編です。)
大晦日の夜、M氏の姿は行きつけのJazz-Barにあった。
ここに居ればもしかしたら彼女がドアを開けて現れると漠然とした期待を抱いていたのだ。
イヴ以来彼女からも連絡が無かったし、もう終わった事だと自分に言い聞かせていたけど、そう簡単に吹っ切れるワケが無い。
この店は今まで他の誰も連れて来る事の無かったM氏と彼女の唯一安心出来る棲家。
今夜のママは新年を迎える為に一段と綺麗、彼が珍しく大晦日に顔を出したので喜んでくれたけど、一人で来た事を意外に感じていた。
やって来た時には閑散としていたお店の中も徐々にお客さんが増え賑やかになっていたので、大晦日でも案外お客が来るものだ、と思った。ほろ酔い気分になってきた頃、ママが「Mさん、彼女から電話よ」微笑みながら言った。
M氏は少し間を置いて「今夜はもう帰ったと言って」とママに小声で御願いした。
ママは何となく事情が呑み込めたのか、何も言わず「解ったわ」と言う風に彼の肩に軽く手を掛けた。
ここまで来て彼女と話をするのをためらっているなんて笑ってしまう。
いや、躊躇っているんじゃなくて怖いのだ。
今夜は来るんじゃなかった、と後悔したM氏はそろそろ帰ろうと一気にグラスを空けた。
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酔った人たちのはしゃぐ声とタバコの煙を掻き分けてママがM氏に耳打ちした。
「Mさん、今度は会社の人みたい方から電話よ」そんな筈はないのにと首を傾げながらガラス張りの洒落たアンティークな室内電話ボックスのドアを開けた。
受話器の向うからトーンを落とした彼女の声が聞こえてくる。
電話でいつも彼女はささやくように喋るがメリハリのある言葉使いが堪らなく好きだった。
ママは彼女のことを気遣い、さっきの電話でM氏の頼んだ通りに伝えていなかった。
取り留めの無い会話、何気ない会話の中に秘められた暗号はお互いに解り過ぎる程解ってしまう。
そして、わざと微妙に噛み合わせない二人の会話は断崖絶壁でチークダンスを踊っているようなもの。
誘いの言葉を待って二人の世界に抱き合って堕ちていきたい衝動が胸の鼓動を高める。
同じ気持ち、同じ想いなのに互いに自分からは言い出せない‘初日の出’の言葉が宙に踊る。
モザイク模様のガラス越しに眺めた店内が俄かに盛り上がりを見せた。
午前0時・・・新しい年を迎えた。
M氏も彼女も‘明けましておめでとう’とは言ったが‘今年も宜しく’とは言えなかった。
お互いにその言葉を相手から言ってもらえば簡単に以前の二人に戻れると思っていたけど
断崖絶壁の淵で踊っていたチークダンスは足を踏み外す事は無かった。
「話が出来て良かったよ」「私も・・・」、M氏は受話器を静かに下ろした。
‘さようなら’とは一言も言ってないし聞いてないけど彼女との恋は本当に終わったと悟った。
帰ろうとするとママが見送ると言ってお店の外まで出てきてくれた。
ママには彼女からの電話の事で頭を下げて御礼を言った。「人生いろいろだから・・・」と
何気ない言葉にママから初めて彼女と同じような‘匂い’を嗅ぎ取った気がした。
「Mさん、今年も宜しくね」と言うママに「また来ます」と返事をしたけど
この店にはもう足を運ぶことは無いかもしれないと思った。
初詣参りに行き交う人々が、冷たい夜風に身を引き締めるように促されて新しい年を新しい気持ちで迎えている。
M氏は、今夜話が出来て良かった、と本気で思った。
ふと、コートのポケットから愛用の手帳を取り出して、もう会うことはない
彼女の写真に「今年も宜しく・・・」と呟いた。