2004年02月28日更新 フィクションNo09 「Route 52(Sound of Mebius)」
旧清水市興津を起点とする国道52号線沿いの、山あいを抜けていく風景は
何10年経ても劇的に変わっていないと思う。
ガキの頃からバイクで走り、四輪になってからもイヤと言う程走っている道だ。
次は緩やかな右コーナー、その次は急な下りのブラインドコーナーとか、手足は自然に反応する。
アクセルは踏みっ放し、コーナーは攻め続ける‘この道’はずーっと続く・・・あの頃は確かにそう思っていた。
‘あの頃’とは、ワーゲン・ゴルフⅡを乗っていた時代・・・もう15年の時を刻んでいる。
そんな事をぼんやり思い出しながら運転していたM氏だが、唐突に運転席側の窓を開け、アクセルを強く踏み込んだ。
・・・‘あの頃’窓を半分開けて車のサウンドを聞くのが好きだった・・・
“サウンド?あぁ、車の・・・好い音ね”
愛車フォルクスワーゲン・ゴルフⅡの助手席に深く座っている彼女が軽く頷いた。
トンネルに入った時、M氏はおもむろに窓を半分開け、アクセルを強く踏み込んだのだ。
その不可解な行動に、彼女は“どうしたの?” と首を傾げ問う。
“サウンドだよ”
アクセルを強く踏み込んだ時に、ゴルフⅡのSOHC直列4気筒エンジン特有のサウンドに混じって
‘クゥオーーーン’あるいは‘コォーーーン’と鳴く‘カムが乗る状態’なのか‘吸気音’なのか
不明なのだが、その加速時の‘鳴き’が堪らなく心地好かった。
この心地好さを齎してくれる‘鳴き’は、ある一定の負荷領域から脱すると消滅してしまうが、
その後は安定した力強い加速領域に入り、さらにアクセルを強く踏むように促す。
ディーゼルエンジンのゴルフⅠに閉口していたM氏はこのゴルフⅡが好きだった・・・
彼女とはゴルフⅠの終わり頃に出会い、ドライブに誘うようになったが
それから特別な存在になるまでの半年・・・つまり、彼女の誕生日までの‘おあずけ’は
車のならし運転の‘もどかしさ’同様、精神的に殆どイジメに遭遇しているようなものだった。
彼女の誕生日が近づく頃にはゴルフⅡのエンジンもアタリが付いて‘鳴き’始め
妻を乗せるよりも彼女を乗せて走った距離の方が圧倒的に上回る愛車の、
サウンドの変化を、妻は無頓着だったが彼女は解ってくれた。
M氏にとって、このサウンドの‘解る’‘解らない’の違いは、愛情の差に等しいように思えた。
“ずーっと一緒だょ” ・・・彼女がよく口にした
この‘鳴き’は‘永遠’という意味に限りなく近い官能的でDelicateなサウンド
瞳と瞳を絡めた唇で、物憂げな横顔、寝息のあどけない顔で・・・己の魂に言い聞かせるように。
・・・‘あの頃’この道はずーっと続くと思っていた・・・
ゴルフⅠからゴルフⅡまでの、長い付き合いになったせいもあるが、彼女との付き合いは
ずーっと続く、そう信じるに足る何かを確かに全身で感じていた・・・永遠なんて幻想に過ぎないのに
でも、現実的な‘ずーっと一緒’は所詮無理だったが、年に一度の便りが彼女との絆の唯一の証しなら
甘美で空虚な響きの‘永遠’というサウンドに少しは耳を傾けてみようか、という気持ちにはなる。
あれから別々の道を歩むようになって長い時間が経過しているし、出逢った女性は彼女だけではないけど
この峠道を走るとゴルフⅡの助手席に座っていた彼女を想い出すのはそのせいかもしれない。
それが自分の一番輝いていた季節の残骸・・・麗しきillusionだとしても。
彼女が今、この車に乗ってこのサウンドを聴いたら何て言ってくれるだろう?
M氏は唐突に運転席側の窓を開け、アクセルを強く踏み込んだ。
V型6気筒エンジンの単調で面白味は無いが、安定した力強いサウンドが安心感を伴って聞こえてくる。
(あぁ・・・V6ね、好い音かも)
君を乗せてあげる事が出来ないのが残念だけど。
「Route 52 flash back...」と「Volks Wagen GOLF-2/illusion」という2編のショートショートを
同時進行で創っていたのですが、いつのまにか同じような内容になっていたので
1編のショートショートに創り直しました。
時系列的にはフィクション6「Black Coffee」の前を意識して描いています。