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ドラマティック・レインに誘われて

2004年12月11日更新 フィクションNo11 「ドラマティック・レインに誘われて」

【First Scene】
「今から会える?」受話器の向こうは涙声になっていた。
晩春の頃に大喧嘩して以来、それっきりになっていたN美だったが、
突然の電話で付き合っていた男と別れたからその話を聞いてほしいとM氏に告げた。
それは喧嘩した夜から七ヶ月経った12月中旬の頃、そしてA子との一件から既に一年九ヶ月が経過していた。

元はと言えば、あの七ヶ月前の喧嘩はその付き合っていた男の事が原因だったのだ。
男は彼女と同い年で同僚、東京本社のお偉方の息子だが転勤(地方勉強)で静岡に来ていた。
静岡の街は狭過ぎる、M氏は二人が楽しそうに手を組んで歩いている姿を幾度となく目撃して、その男に対して良い印象は持っていなかった。
スタイルは良いし、いかにもお金持ちのボンボンに見えたが、其れよりも増して、尻(ケツ)の軽そうな男に見えたからだ。

そして「たまには飲もう」と誘ったあの夜に、男の話に及ぶと「おまえに相応しい男じゃないよ!」
「そんな事ないよっ!それに、あなたには関係無いでしょっ」と言い争いになってしまった。それからついに
過熱して過去の些細な事まで晒け出し罵りあう醜態を演じて、酷く悪酔いした事をつい最近の出来事のように
M氏は思い出していた。

【Scene.2】
残業を途中で切り上げ、駐車場に急ぎ足で向かいながら空を見上げると低い雲が空を覆い隠し今にも泣き出しそうな冷たくて暗い夕空だった。
愛車のシートに座り、カーステレオのスイッチをONにすると小田和正の歌が流れてきた。
M氏は一瞬考えた風に小首を傾げるとテープを抜き、グローブボックスの中へ無造作に放り込み、そしてルームランプを点け急いで車内のチェックを始めたが、直ぐやめて「バカだよな・・・」と吐き捨てるように呟いた。
とっくに別れた女にさえ気を使っている自分が滑稽な動物に思えたのだ。

アウディ80を5分も走らせた頃には、空もついに耐え切れず雨が落ちてきた。
もう直ぐ来るクリスマス、街は賑わい混雑が激しく、空いている道を選んで走っているとHotel「S」の前でアクセルが緩んだ。(そういえば、あの日も雨だったな・・・)ビルを横目でチッラと見ると思い出がフラッシュバックする。
何年か前にN美と映画を観た後、馴染みのカウンターBarに飲みに行った。その時はまだ時間が早過ぎて開店していなかったから、ここでシャワーを浴びる事にしたのだが、その手っ取り早く済ませた時間の後味の悪さが、記憶の片隅にこびりついていた・・・その日観た映画「エンゼル・ハート」の一場面と自分たちが密室で繰広げた背信の儀式が、雨の仄暗い街の情景と妙に絡み合って。

(七ヶ月前に喧嘩した夜も雨だったな・・・)怒りを顕に攣りあがった彼女の目から涙が零れたワンシーンがスローモーションになって脳裏に焼き付いている。
(でも雨は良い思い出の方が多いんじゃないのか?)M氏は嫌な思い出を払拭するように頭を軽く横に振った。
(初めて行ったワイナリーも雨だったけど、雨の富士スピードウェイも楽しかった)想い出が耳元で囁く。
(雨は嫌いじゃないさ)そう、全ての雑音から身を隠し二人を世界の主人公にしてくれるドラマティック・レイン
(ドラマティック・レイン・・・稲垣潤一か・・・)
交差点の赤信号で停まった時、N美の忘れていった稲垣のテープを探そうとグローブボックスの中を漁ってみたものの、中はサザンとかB'zのカセットテープが我が物顔で占拠していて、苛立ちが募るばかりのM氏だが青信号に変わろうとした時にやっと見つけ出し、カセットデッキを急かすみたいに押し込んだ。
それは車をアウディ80に変えた時に見つけた、ゴルフⅡの車内に彼女が唯一忘れていったテープだった。

【Scene.3】
稲垣の歌を聴きながら、電話で約束した待ち合わせ場所K公園の駐車場に着いた頃には雨も本降りになっていた。
広い駐車場の入り口近くにある自販機の傍に車を停めたM氏が、外に出て傘を片手にタバコを吸っていると、やがて一台の車が駐車場に入って徐行しているのが目に映り、軽く手を振って合図をすると、その赤いシビックはアウディの横に停車した。彼女が軽乗用車を運転している姿しか記憶に残っていないM氏は、時計の針は止まっていないんだな、と今更ながらに思った。

「久しぶり・・・」か細い声で言いながら車から降りたN美に「雨に濡れるから早く乗りな」と言う風にM氏は手で促した。
アウディ80の助手席に初めて座った彼女はぎこちなく身体をシートに深く沈め、うなだれていたが「ほら」とM氏が差し出した暖かい缶コーヒーを開けて一口飲んだ後、「ふぅ・・・」と溜息をつくと、閉じ込めていたやるせない気持ちが堰を切ったようにシクシク泣き出した。

暫く泣いているだけの時を刻んだ彼女だが徐徐に気持ちが落ち着いてくると持ち前の好奇心が頭を擡げだし
ルームランプを点けて車内を珍しそうにキョロキョロと見回してみたりした。「まだ聴いているの?稲垣を」、
クスクス笑いながら涙を拭き、悪戯っぽくグローブボックスを開けて小田和正のカセットテープを見つけると
「あなたの趣味じゃないわね」、わざと陽気に振る舞うそこだけ以前と変わらない彼女をM氏は抱きしめたい想いを必死に堪えていた。

【Scene.4】
「それで、尻軽男の話はどうなったんだ?」僅かに声が裏返しになっていたM氏だった。
N美の話によると、男との仲は順調に伸展して婚約寸前まで話が進んだそうだ。
そして、つい最近東京の家でのホームパーティーに招かれて泊まりで行った時の出来事が別れの原因になったと言った。

彼女の話を要約すると、男の家族と友人知人が集まり賑やかな雰囲気だったが、彼だけがパーティーの初めから
少し機嫌が悪そうな感じで、そのうち酔いが廻って暴れたらしい。
その暴れた原因は以前から好意を持っていた女が来ていない事に腹を立て、ご機嫌を損ねていたと。
原因も然る事ながら誰彼構わず小物などを投げたり絡んだりする粗暴な姿を初めて見たのは相当ショックだったようだ。

「ルージュの伝言をやっちゃった・・・」その場面を思い出しているような口調のN美、「何だ、それ?」とM氏。
朝、まだ男が爆睡している間に彼の持っている衣装の中で一番高価に見えるスーツをハサミで切り裂いてから
壁に掛かった大型の鏡いっぱいにルージュで別れの言葉を書き残してきた、とN美は言った。
「鏡に何て書いた?」とM氏に、「知らない方が良いわよ」N美は自嘲気味に笑った。

男のお母さんにお世話になった御礼を言って出てきたが、申し訳なさそうな表情で「クリスマスにも来てね」と
彼女の手を握って何度も何度も言ったそうだ。「ええ、また・・・」彼女は言葉を濁して答え、始発の新幹線に飛び乗り静岡へ帰ってきたがもう彼の家には行く事はないと、既に会社には辞表を出して年内で退社する事を決意していた。

【Last Scene】
稲垣の歌に抱擁されている空間が心地良く、いつしか二人は寄り添い言葉を重ねていた。
「あの頃は良かったよね・・・」彼女が呟く。「そうだな・・・」M氏は身体中が熱くなるのを感じた。恋の再燃現象というのはこういう状況で生じるんだ‘今ならチャンスだ’とカーステレオから「ドラマティック・レイン」が惑わす。二人はあの頃を想い出すように歌詞を小声でなぞってみた。

「光るアスファルト、二人佇む、ああ都会の夜はドラマティック、車のライトがまるで、危険な恋、誘うよ、
もしもこのまま、堕ちていくなら、ああ男と女、ドラマティック・・・」




N美の肩を抱いていたM氏の腕にピックっと何かが一瞬伝わった。「ああ・・・そろそろ私、帰らなきゃ・・・」
「そうだね、俺も、そろそろ・・・」と言いながら、落ち着いてゆっくりとテープを抜き、FM放送に切り替えた。
「今夜は有難う」N美、「また会えるかな?」M氏、「う~ん・・・サザンとB'zのカセットテープも捨てたらね」小田和正のテープを見せながら、N美はからかう様に言った。彼女がドアを開けて車から降りる時「おやすみ、元気出せよ」と見送ったM氏に「うん!」と微笑んでバイバイと手を振ったが、表情は寂しさと辛さを隠す事が出来なかった。

N美の車が見えなくなると雨がまだ降り止まぬ外に出てタバコを吸い始めたM氏は何故彼女が突然帰ると言ったのか判っていた。
あの時もその前のあの時も聴いていた「ドラマティック・レイン」の危険な恋の誘い、それはかっての媚薬であり魔術。
でも、それと引き換えに二人に齎す現実の情況は地獄と極楽が背中合わせの葛藤、そして、その後の詞は自分も聴きたくなかった。

もし神に赦されるのなら、永久(とわ)の契りを交わしたいが、二人にはそんな勇気は無かった。お互いに居心地が良いのは解っているけど、もう一度肌をなぞってみたいけど、終わってしまった恋なのだと思うしかない。
今、彼女を癒せるのは過ぎていく時間と新しい恋しかないのだ。ただボーっと傍観する自分がやるせなくなった。

(雨の音さえ隠せぬ罪・・・か)二人には重過ぎたドラマティック・レインの詞を心の中で呟いてみれば
12月の冷たい雨が音を立てて、火の消えている間抜けたタバコを咥えたM氏の身体に降り注いでいた。


えっと・・・時代はカーステレオがカセットデッキ全盛の頃、携帯電話がまだ庶民的ではなかった頃が背景です。
小田和正は「ラヴ・ストーリーは突然に」を連想して下さい。稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」なんてもう知らない人の方が多いですよね。
それから、エンジンを切ってキーを抜いてもオーディオは別電源なので必ずカーステレオ本体の電源スイッチをOFFしないとバッテリーが昇天するなんて理解できますか、ホントなんですよ。

  • 2004年12月11日(土)20時25分

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